白江治彦 (しらえ はるひこ)

2016年2月の囲碁フォーカスで特集された。

囲碁普及命

八段。「他のどの職業でもなく囲碁の棋士になれて本当によかった」と笑顔で話す白江は今まで三千人以上のアマチュアと囲碁で関わってきた。

囲碁普及の第一人者で「タイトルを獲得するために自分自身の囲碁の技術を磨くことと世の中に囲碁を普及させることは車でいえば両輪であり、どちらも欠かしてはならない」という考えを強くもつ。

白江は「囲碁棋士は囲碁ファンあって初めて成り立つ」ということを常に忘れない棋士であるが、そういう棋士は白江が現役の頃は今ほど多くなかったらしい。

呉清源の多面打ち

ライフワークとして多面打ちをとらえ、今までに百面以上の多面打ちの指導碁を14回、最高で230面の多面打ちをしたことがある白江は多面打ちの名手として知られるが、そのきっかけは呉清源だった。

呉が五十年前ぐらいに両手で三面打ちをしていたのを見て大いに感動し「多面打ちなら多くの人に囲碁の魅力を伝えられる」と考え、三面打ちから五面打ちへ、そしてさらに数をどんどん増やしていった。

平成二年には銀座で世界記録を目指して101面打ちを開催した。三百人を超える対局希望者があり、ギャラリーは数え切れないほど、新聞などのマスコミでは大きく取り上げられ、白江の多面打ちは広く世の中に知れ渡った。

フランスで多面打ち

平成三年にはパリで102面打ちを開催。当時、核実験を行ったフランスと日本の外交関係は良くなかったが、そういうときだからこそ囲碁で親睦を深められたらいいのではないかという思いが白江にはあった。会場の周辺は大柄の警察官たちが警備にあたり、主催者のサポートを得ながらパリでの多面打ちは成功で幕を閉じた。

白江は「英語はできないが囲語(囲碁)ができれば世界中の人々とコミュニケーションはとれる」と話す。

讃えられる功績

引退から四年後の平成二十年には多大な囲碁普及の功績が認められ、第三十八回大倉喜七郎賞を受賞した。

「多面打ちなら白江」と世の中に広く知られるようになった頃のある日、白江は散歩中の呉に会い、白江が呉に挨拶をする前に呉から「多面打ちの名人!」と声をかけられたことが嬉しくてたまらなかった、と笑顔で語っていた。

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