本因坊算砂(ほんいんぼう さんさ)

2018年7月の囲碁フォーカスで特集された。

本因坊家初代

1559年誕生、1623年没。

戦国時代から江戸時代初期に活躍した棋士の元祖。本因坊家の初代で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ら天下人の囲碁指南役だった。

碁の実力は申し分ない。また、囲碁界に大きく貢献したことが評価された算砂は本因坊道策、本因坊秀策、徳川家康らと共に第一回の囲碁殿堂表彰に選ばれた。

御城碁

囲碁界への功績としての一つに二条城で始まったといわれる「御城碁」がある。これは徳川将軍の御前にて行われる対局で特別に選ばれた実力者のみが出られる大会のようなもの。当時の碁打ちにとっては最大の名誉だった。

算砂の時代は御城碁という制度はまだなかったが、将軍やえらい公家の前で囲碁を披露する儀式が定着したのが算砂の時代であるので、算砂の時代から御城碁が始まったといわれている。

棋譜

囲碁界への功績のもう一つが「棋譜」で、棋譜を残すことを始めたのは算砂の時代からではないかと言われている。本人が打ったものとして残されている棋譜は日本では算砂のものが最古で、当時すでに日本国内で手に入った中国の囲碁の本を参考にして作られたようだ。

それまで一部の位の高い人の娯楽とされていた囲碁だが、御城碁や棋譜の誕生で多くの人が囲碁にふれることができる機会が増えていった。

見るものを魅了する打ち方

鈴木伊佐男は本因坊算砂の打ち方を「破綻しない」、「工夫する」、「見ている人が感心する」ものとし、碁の真理を追究した工夫を凝らす姿勢が算砂の最大の功績だと言う。

古碁:本因坊算砂 対 鹿鹽利玄
手合い割り:先 黒:鹿鹽利玄(かしお りげん) 白:本因坊算砂 対局場所:駿河御城神君御前 白番の算砂は上辺の黒を閉じ込めたいのでK13(A)にボウシを打ちたいが、いきなりボウシを打つと黒にL14に打たれて上辺右...

慈悲深い僧侶

算砂は実は京都の寂光寺(じゃっこうじ)の二代目の住職で、仏教の教えを広めることが第一の目標の仏教学者だった。趣味の囲碁が名人級となり碁打ちとしても有名になった。算砂の肖像画には念珠や経机などが描かれていて、僧として有名だったことがわかる。

歴代本因坊の名が刻まれた盾を見ると、各本因坊の名前の横には日から始まる二文字の法号が記されている。例えば算砂は日海、道策は日忠などである。これは、本因坊家を継ぐ者は碁の技術と共に仏教の勉強もする必要があったということを意味する。

算砂は大名に仕えたものが受け取る給与「俸禄」を寂光寺のまわりの貧しい人々に分け与えたと伝えられていて、碁を通して人々を救った僧侶だった。

多趣味

算砂は将棋をさせば名人級の強さだったという。また、つばきの花を咲かせれば本因坊という品種をつくったという。そして、囲碁教歌も詠んだ。

囲碁教歌 例1

上手とてあまりの気過(けすぎ)恐るなよ 又おそれぬもあしきなりけり

相手が上手だからといって恐れすぎるのも恐れないのもよくない、ということ。

囲碁教歌 例2

身の上のまけになるをばしらずして むかふばかりを見るぞ下手なり

自陣を固めることを忘れて相手を攻めるのは下手の碁打ちだ、ということ。

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