加藤正夫(かとうまさお)

囲碁棋士

2016年12月の囲碁フォーカスで特集された。2016年は加藤正夫の十三回忌だった。

人柄

酒がはいると歌は下手だが歌いたがるらしい。

囲碁フォーカス講師の三村智保によると、加藤は話してみると優しい人で、上からものを言うことは決してなく、何でも思ったことを正直に言ってくれる気さくな人らしい。

また、あの藤沢秀行が「一番碁の勉強をしているのは加藤だ。」と一目置いていたという。

弟子の吉原由香里は、囲碁で勝てずに相当凹んでいたときに寄り添って気持ちを分かち合ってくれた師匠だったと振り返る。

鬼の形相

普段は温和な加藤だが、いざ対局となると鬼のように怖い表情で戦いに挑む。しばしば大石をとってしまうので「殺し屋加藤」の異名をもつ。

弟子の大森泰志は加藤の指導で涙したこともあったという。といっても厳しい口調で罵倒されたりということでは決してない。加藤はただ無言で弟子の対局を見ているらしい。あまりにも無言なので大森がちらっと上目遣いで加藤を見ると、ものすごく厳しい目をしている。それで、自分の情けなさを痛感して涙を流したと述懐していた。

入段後はなかなか勝てず

17歳で入段したが、初タイトルは昭和51年、29歳で獲得した第一期碁聖。それまで他の棋戦では8回連続準優勝だった。

遊びまくったあと勝ちまくった

兄弟子の石田秀芳はタイトルが取れない加藤に「少し遊んだほうがいい」とアドバイス。すると加藤は囲碁を打たずに二年間周りの人が心配するぐらいあそびまくったという。

それが初タイトルにつながり、さらに昭和51年の14期十段も獲得。以後4連覇を果たす。また、30期から37期までの王座を八連覇し、王座は通算十期獲得したので、名誉王座の称号を手に入れた。

偉業

平成2年の38期王座戦で奪取されるまで、14年6ヶ月の間、七大タイトルのいずれかを常に持ち続けた。この記録は未だ破られていない。

また、平成14年の57期本因坊戦で勝利し、55歳3ヶ月で史上最年長本因坊となった。

グランドスラム達成ならず

加藤は七大タイトルのうち棋聖には生涯縁がなかった。加藤は三度棋聖戦の挑戦者となり、挑戦した相手は全て小林光一だった。

三度目の戦いは1993年の17期棋聖戦で、第七局までもつれこんだが最後は小林の中押し勝ち。小林は棋聖八連覇を達成した。

突然の悲報

平成16年に日本棋院理事長に就任し、囲碁殿堂資料館を立ち上げたり、少年少女囲碁大会団体戦を設立したりしたが、その年の12月30日、57歳でこの世を去った。

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