張栩(ちょう う)

張栩 囲碁棋士

棋風

地に辛い。辺や隅で根拠を築きながら地を広げて、良きタイミングで相手模様に入っていってさばくのが得意。

「戦わずして勝つ」先行逃げ切り型。

出身と家族

台湾出身の棋士。棋力は囲碁界でトップを争う。

嫁は囲碁棋士で、女流棋聖、女流本因坊、女流名人の三大タイトル全てを獲得したことがある小林泉美。

義理の父も囲碁棋士で、棋聖八連覇、名人七連覇、碁聖六連覇、という偉業を成し遂げた囲碁界の重鎮、小林光一。

二人の娘がいる。長女が小澄(こすみ)で、次女が心治(こはる)。ちなみに長女の名前「こすみ」は囲碁用語。

台湾での生活

2016年に日本に帰ってくるまで1年間ぐらい家族4人で故郷の台湾で暮らしたという。

2013年、井山に棋聖を奪われて無冠になって少ししてから故郷に家族で移住ということで、このまま引退するのではないかといううわさもあったようだ。

台湾では台湾の棋士とも多く交流して充実した時間を過ごした張栩は、晴れて2016年3月にNHK杯で優勝した。

対局中の目力

目力がものすごい。張栩に睨まれたら多くの人が目を背けてしまうだろう。命をかけて戦いに挑む、などの殺気だったコメントを対局前に残したこともある。

また、考慮時間に入ると耳の下や顎付近の筋肉を速く動かしたり、指の関節をボキボキならしたりする癖がある。

平成の四天王

2009年に「大きな目標だった」という五冠を制し、2010年には史上二人目のグランドスラムを達成する。

五冠を達成したあたりから感じていたそうだが「七冠を目指そうという気持ちはなかった」らしい。タイトル戦の連続の日々で体がぼろぼろ、命を削るような思いで戦っていた。

井山の存在

2002年、張栩が22歳のとき9歳年下の井山と対戦。そのとき井山の強さに大きな驚きを感じた張栩は「いつかはやられるという予感はあった」。そしてその通り、2009年の名人戦で二十歳の井山に名人の座を奪われた。

2013年には全タイトルを失う。負けるのは悔しいけど、どこかでこれでよかったという気持ちもあった。

不本意な成績を重ねていくたびに自分の限界を感じていた。自分がリーダーとしてふさわしくないという思いもあった。

日本囲碁界の次世代のリーダーとして、井山にならその責任を背負える。日本の囲碁界を彼に託すことができて嬉しかった。

新しい布石の研究

2014年ごろ、張栩は自らが生み出した囲碁の新しい布石をNHK杯などの公式戦で披露した。源になっているのは呉清源の新布石。(呉清源 新布石構想: 黒の打ち方 白の打ち方)

張栩はその心境を2014年10月に放送された囲碁フォーカスで語っている。

「現在の囲碁で布石は定石化していて、その中で戦っていくのが退屈な自分がいる。自分の個性を出せないで打つ囲碁が魅力的とは思えない。本来、碁はいろんな打ち方があるはず。自分が工夫して打ってきた碁は研究されて定石となってしまっている。定石の先にいってみたい。自分にしかない碁の魅力を盤上で示していきたい。」

子供用囲碁の開発

幼児向けに「よんろのご(日本棋院推薦)」をつくった。

タイトルとURLをコピーしました